歌人で國學院大學名誉教授の岡野弘彦氏。
昭和天皇の作歌のご相談に預かるなど、和歌を通じて
皇室とのご縁も浅くない。民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)の家に同居して指導を受け、
その死を看取った。折口の学問上の“遺言(ゆいごん)”と言うべき論文「民族史観における他界観念」
(昭和27年)の口述筆記に当たったのも、岡野氏だった。その岡野氏が、同論文について、以下のように述べておられた。
「あれ(同論文)は柳田(国男)先生からの問いかけに対する、
返事だったのかもしれない、と思うんです。
戦後の昭和24年の春、折口は柳田先生を訪ねて、一緒に桜の花を見て、
また民俗学研究所に戻った。そこで柳田先生は、『われわれは戦争中の若者たちが桜の花の散るように
死に急いで、自分の命を死地に捨てるのを見てきた。
こんなにして若者が命を絶つことをいさぎよしとし、みずから死ぬことを
美しいと考える民族は世界中にないのじゃないだろうか。
折口君はどう思います』とおっしゃった。つまり、そういう思いを持つ民族はあったとしても早くほろびて、
海に囲まれた日本だけに残っているのではないか、という疑問を折口に
投げかけた。折口はそのとき何も答えなかったのです。
二人とも暗い顔をして沈んで考えていたことがありました。その時、何も答えなかった折口の柳田先生への一つの答えが
『民族史観における他界観念』だと思うんです」
(井上ひさし・小森陽一編著『座談会 昭和文学史』第2巻、平成15年)と。この発言に触れて、早速、書斎の高い棚の奥に埃(ほこり)を
被(かぶ)っていた『折口信夫全集』(中公文庫版、全31巻・別巻1巻)
から同論文を探し出したのは言う迄もない。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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